YMOの曲を初めて聴いたのは細野氏がDJをしていたFM放送の深夜番組で、まだレコードが発売される前だったと記憶しています。 その後レコード会社勤務だった友達から彼らのファースト・アルバムの見本盤をもらって聴いていました。(アル・シュミットがミックスし直す前の音が悪いやつです)
当時洋楽好きの友人のあいだでの彼らの評価はかなり低いものでした。 しかし、私としては2枚目のアルバムで大衆的な支持を受ける以前の小さな会場での生演奏を聴くことができたのは非常に貴重で幸運な体験だったと思っています。
残念ながらほとんどおぼえていませんが。 この時点では彼らのライブでの編成や同期やモニター方法など技術的なことがまだ確立されていなかったようでした。 私もシークェンサーに合わせた演奏を見るのは初体験だったので、多分あっけにとられていたのでしょう。 ただツイン・ドラムで演奏した曲目があったことは確かです。 もう1人のドラマーはチラシには載っていませんがこの頃ギターの渡辺氏のバンドで叩いていた人だったと思います。 それとその渡辺氏が、ギターを弾いている時には感じないのですが実際はすごく小柄な方なのには驚かされました。 そういえば彼らのアルバムにゲスト参加した高中正義氏が見に来てました。
友人達の評価は最後まであまり変わりませんでしたが、私は散会するまでずっと好きでした。
追記(2023.02.16) 先月の11日に闘病中だった高橋幸宏氏が亡くなったとのこと、ご冥福をお祈りします。 ミカバンドをYMOと同じくらい好きな私なので、幸宏氏のドラムプレイからは意識せずとも大きな影響を受けていると気づくことがあります。 さて、私がYMOを生で見たのはこの時と「写楽」イベントの時の2回だけでした。パンフレットも処分したし記憶はありませんけど。 このコーナーに載せましたが幸宏氏の演奏はそれ以外にミカバンドで1回、サディスティックスで3回見ています。 全盛期のYMOは社会現象となったものの、私は音楽に関心があっただけでブーム周辺の仕掛けなどには興味がなかったことは覚えています。 関連記事が音楽雑記帳にありますので、よろしければご覧ください。 脇道は枝分かれ?(1999.03.17記) 創造?選択?それとも創造的選択?(1999.08.07記) 拮抗からくる緊張感(2003.07.19記) インド歌謡を知った頃(2005.12.21記) 茶魔術楽団(2006.05.24記) 比較テクノ論爺(2013.01.19記) YMOの痕跡(2019.06.06記) なぜかドラマーつづき(2021.03.18記) |
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