2000年6月分

音楽雑記帳

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6月28日(水) 失われたエゴの衝突

MAHAVISHNU ORCHESTRAの3枚目のアルバムになるはずだった幻のマスターテープ。

私はその海賊盤があることを知らず、当然聴いたこともありませんでした。

そのテープが発見され「THE LOST TRIDENT SESSIONS」というタイトルで発売されているのを店頭で見かけてからかなりたちます。

ロバート・フリップ氏に何度も欺かれている私は、その海賊盤っぽいジャケットを見て買うのを躊躇していました。(--;)

先日、友人から「演奏は凄い!」という情報を得て安心して購入!(^^)

メンバー間の人間関係は崩壊寸前だったようですが音楽的には頂点を極めていた時期だったことは確かです。

演奏も録音(音質)も最高の仕上がりになっています。

各人のエゴがぶつかり合うのは当然でそれによって音楽が活性化されることもあるのですね。

ただし大人の忍耐力が不可欠ですが。

このアルバムが録音された1973年に彼らが来日した時のチラシがありましたので、ご覧になりたい方はここでどうぞ。

またそのコンサートについては「お懐古さん」に書きました。

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6月4日(日) 失ったものの大きさ

期待と不安の交錯するなか、マイケル・マクドナルドの新盤「blue obsession」を買いました。タイトルから何やら否定的な印象を受けてしまいます。

聴いてみるとスティーリー・ダンの最新盤にも通じる生きがいい演奏で始まったので今度は久々に良い出来かなと思わせられました。

しかし全曲聴き終えてみると、何か肩透かしをくわせられたような気持ちになりました。

その後も数回聴き直してみましたが、残念ながらあまり良くありません。
その理由を一言で言えば楽曲そのものに輝きがなく、思わず口ずさむような曲がないからです。

これは彼自身の才能の枯渇からくる個人的問題なのでしょうか。

思い起こせば彼はスティーリー・ダンからドゥービー・ブラザースに加入しそこで才能を開花させた後ソロ活動を始めました。

彼はインタビューで、曲作りに限界を感じていた時にスティーリー・ダンに入ったことで新境地を見出したと述べていました。
また、ドゥービー・ブラザースの曲を無名時代にナイトクラブで演奏していたのでメンバーになった時は本当に興奮したとも言っていました。

ソロになってからは段々音楽的な質が落ちていると私は感じます。

そういえばスティーリー・ダンの最新盤に関する記事でドナルド・フェイゲンやウォルター・ベッカーの要求にこたえられる演奏家が非常に少なくなっていると関係者が指摘していました。

米国のスタジオ・ミュージシャンの演奏能力が相当低下しているようです。

そもそも飛躍的に進歩したいわゆるデジタル楽器、機材を安易に取り入れたのがポピュラー音楽界でした。
その帰結として現在ではスタジオ・ミュージシャンに限らずこの世界の演奏家のレベルは全体的に下がっていると思います。

他のジャンルに比べれば作曲家と演奏家の区別が明確なクラシック音楽の世界でも、両者が互いに触発しあうことによって良い結果が生まれたことは歴史的事実です。

まして両者のあいだの垣根が低いジャンルでは素晴らしい演奏家の演奏にひらめきを受け、それが楽曲に発展することが多々あります。

上手な演奏家がいなくなると楽曲そのものの質も悪くなる。私の仮説です。

もっとも私自身はデジタル楽器、機材の恩恵を受けているわけですが。

得たものと失ったもの、それらを「音楽的豊かさ」を計る天秤にのせてみた時、いったいどちらに傾くのでしょうか。

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