チケットに記されているとおり、たった一人での完全ソロコンサートでした。 現代ではエド・シーランなどが同様なパフォーマンスをしているものの、当時はちょっと損したかな感があったことは事実です。 ただし弾き語りだけではなく曲によっては打ち込んだデータによるバッキングとともに疑似バンドサウンドも楽しませてくれました。 特に印象に残っているのはユートピアの定番チューンである「Love In Action」での任意長演奏停止部分、ブレイクです。 電気電子楽器を演奏しない方は不意をつかれて驚いたかもしれません。 私は多分これしかないだろうと予想して彼の足もとを注視し続けながら聴いていました。 すると案の定ストップも再スタートもフットスイッチで行なっていました。その部分を繰り返しリハーサルしている姿を想像して思わず微笑んでしまいました。 記憶では「Can We Still Be Friend」で、まだ友達でいっらっれぇるぅ、と日本語で歌っていました。 実際はどうだか分かりませんが、私の勝手なトッド像はこんな感じです。 ユートピアでのライヴ演奏がいい意味でラフで、メンバーにバンド活動で生計を立てるのを禁止するなど、学生気質を保ったままでいたい永遠に青春まっただ中状態の人。 XTCのプロデュース時に意見の深刻な対立が原因で、アンディ・パートリッジから自身のアナログ盤を灰皿に加工されるという、いかにもイギリス人らしい暗くて陰険な嫌がらせを受けながらも激怒しないで仕事を続けた寛容性に富む人柄。 そういえば同じくトッドにプロデュースしてもらったダリル・ホールがインタビューでトッドの音楽について意見を聞かれた際に、こう言っていましたっけ。 「ある種の宗教音楽だと思うけど、いかんせん信者が少ないね。」 フィリーソウルのポップ化方法でトッドからヒントを得たくせに、とピーター・バラカン氏と同意見の私はかつてムッとしたものでした。 ただ、この件に関しては先日テレビ番組ベストヒットUSAを見てちょっと嬉しくなりました。ダリルとトッドがスタジオでセッションしていたからです。 演奏楽曲は前述の「Can We Still Be Friend」。過去のいきさつを知っている人には意味深な選曲に思えますよね。 エゴの強いスター達も老境に入って寛容になったのでしょうかねぇ。 おっとトッドの自伝を書店でパラパラ読みしたことがありました。ちょっと買う気のおきないエキセントリックな内容だったような記憶が。 彼は寛容というよりも喜怒哀楽スイッチの場所が常人とは異なっているだけなのかもしれません。 1976年来日公演の記事が下のリンク先にあります。 トッド・ラングレンズ・ユートピア(1999.04.01記) |
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