場所は三鷹公会堂で料金は100円というコンサート。今から半世紀前の出来事なので記憶はあいまい不確かです。 さらには当時見に行った他のアマチュア系コンサートの記憶と混同しているかもしれないものの、個人的に貴重なので記録しておきます。 大昔高校生が接した日本のロック界はこんな感じだった、程度の参考にしていただければ幸いです。 チケットからの少ない情報からヤマハが全面的に関与していたことは確かなようです。 しかし似た名前のライトミュージックコンテストとはまったく別物です。 見に行った理由は、同級生がメンバーだったバンド「ホワイトママ」が出演するからでした。 その同級生がT君だったか、それともT君が脱退した後に加入したC君だったかすら覚えていません。 この時のドラマーがその後カシオペアの初代ドラマーになったと耳にしましたが、佐々木隆氏だったのかどうかは分かりません。 ドラマーの実家はお寿司屋さん、だとか、父親は懐メロ歌手、だとか、怪しい情報も流れていました。 また、当時ドラムを買えないながらも叩きたがっていたクラスメートに対してそのドラマーが話した内容を覚えています。 「俺はハイハットだけでも50以上の技があるよ。」というもの。 どうかマユツバで読んでください。 当時もこの手のイベントにはプロのミュージシャンがゲストで出演していました。 この日はエディ藩とオリエント・エクスプレス。時代を先取りしていた早過ぎたバンドですね。 大所帯多人数のバンドだったので観客の人数の方が少ないくらいでしたっけ。 冗談抜きでこの頃のコンサートではプロが出演しても観客席はまばらというのが普通でした。 JK、もとい、女子高校生にしても同級生がロックバンドをやっているから応援しようなんて娘は少数派変わり者(失敬)だった時代でした。 よく言えばヒップ(死語かも)な女の子に限定されましたね。 日本のロックバンドが経済的に活路を開き始めるのはライブハウスが定着する数年後です。 思うにこのイベントは、アマチュアロックバンドにステージ上人前での演奏をする場を設けてあげよう、という柔軟思考のできる大人の善意が発端だった感じが今となってはします。 100円コンサートで人が集まらなければ間違いなく赤字でしょうから。 音楽を愛するもビジネスと割り切れない業界人は屍となってしまったのか。 アリーナ、スタジアム公演や巨大フェスが当たり前になった今日を予測できた人はいなかったでしょうね。 日本のロックにも歴史はあるんですよ。
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