5月29日(月) |
背水の陣か 音楽配信だけでは満足できない作品のCDをまた買ってしまいました。先月載せたRAYEの「My 21st Century Blues」。 最近の音圧を強調した録音による好みの作品は、JBLの安価なサウンドバーで聴いても歴然と音質の差が分かるので、どうしてもCDで聴きたくなってしまうという悲しい性の私です。 某サイトの紹介文によると、メジャーとの契約を解除して自身のやりたい方向で作った作品とのこと。
もともと声質がデュア・リパに似ていたり、ビリー・アイリッシュ的な要素も取り込んで今風を意識しながらも、うまく消化して自分のものにしています。 あまりに自分好みの素晴らしい出来なので、配信で聴ける過去の楽曲をチェックしてみました。 残念ながら、二番煎じ、二匹目のどじょうねらい的な、よくできているのに、ありふれた、そこいらによくある曲がほとんどでした。 このアルバムは退路を断って最後になるかもしれないという覚悟で取り組んだのではないか、と勝手に憶測してしまいました。結果オーライです。 次の作品が同じレベルを維持できるかどうかが勝負でしょう。それにしても厳しい業界です。 |
5月23日(火) |
記憶の補完 ミュージック・マガジン5月号に掲載されている山下達郎氏のロング・インタビューを読みました。 私は80年代後半から90年代後半にかけての田舎暮らし時代に音楽情報から遠ざかっていました。その間にも色々とあったのだと知り、興味深かったです。 特にレコード会社に対して訴訟まで起こしていたことなどまったく知りませんでした。同氏の一貫してぶれない姿勢は敬服に値すると思います。 音楽性も人間性もタイプがまったく異なる矢沢永吉氏が、肖像権を主張した先駆者だったことを思い起こしました。 彼らのような戦うミュージシャンが業界の悪しき掟に風穴を開けてきたのだと再認識しました。 音楽家は音楽によって評価されるのが本筋です。 ただし本業以外の活動において、社会問題で主張することよりは、自身の待遇改善を先決事項とするのが自然な流れだと私は思います。 そして結果として業界全体が良い方向に向かうきっかけになったのであれば、その姿勢を評価すべきだと考えます。 音楽業界の周辺部に生息している 過去にさかのぼって検証する、気は私にはありませんから。 若い世代の人たちは達郎氏の当時の苦心談を実感できないのではないか、と思ったことを付記しておきます。 拙サイトでは何度もふれているように、「日本のロック」は今では考えられないくらい虐げられていましたから。 |
5月7日(日) |
ギター救命士 10年以上スタンドにのせたまま放っておいた生ギターが2本部屋にあります。
十数年前の夏場に桜島が噴火した際に火山灰がここらに降り、網戸を通して室内にも入ってきてそれらギターに付着しました。 パウダー状の灰なので、こするとギター表面に傷がつくおそれがあります。そんなこんなで放置したままになっていたのでした。 というか楽器を弾きたいという気持ちになれないまま年月が過ぎていった、という方が適切かもしれません。 なにせピアノもいまだに周囲に物が置いてあって弾ける状態にはありません。 先月のある日のこと、精神状態があまり良くないと自覚した時に、無性に楽器が弾きたくなりました。カタルシスを欲しているような感じです。 楽器を弾けるようにするための難易度、というか困難の度合いがピアノよりギターのほうが低かったことからギターをきれいにしようと思い立ちました。 大昔に晴海の工業製品展示フェアでもらった工業用マイクロファイバークロスで恐る恐るギターの表面を目立たないところからふいてみました、時々ハァーッと口から水蒸気を吹きかけながら。 すると傷はつかずに表面につやが出てくるではありませんか。しかも表面塗装の種類が異なるどちらのギターも。 もっ、もしや桜島の火山灰が年月を経て熟成したことによりコンパウンドの役目をはたしたのか。 さすがに頑固な汚れは完全にはおちないものの、驚くほどきれいになりました。 仕上げ用にとポリッシュをネット通販で購入しました。これから使ってみるところです。 楽器を弾くのが楽しみ、と期待する気持ちになったのは、それこそ20年ぶりくらいになるかもしれません。 そんな風になれたことが素直にうれしく感じられました、この年齢でも。 |