2020年3月分

音楽雑記帳

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3月26日(木) コロナの影響で無料

新型コロナウィルスが世界中で感染者を増やし続けています。

「私たちが多くの時間を自宅で過ごすことを余儀なくされている事を考慮して、無料ダウンロードを提供します。」

と発表しているのはジョン・マクラフリンで、最新アルバム「IS THAT SO?」を無料ダウンロード配信しています。

ただし期限は来月4月末日まで。

ボーカルのシャンカル・マハーデーヴァン、タブラのザキール・フセインとのコラボです。

ギターシンセサイザーを弾いているものの、スタイルは完全にインド音楽です。

インドの古典音楽には和声という要素がないので、マクラフリンが6年あまり試行錯誤して和声を加えたのです。

私が70年代にShaktiを聴いていなかったためか、ギターとタブラのラーガにのっとったと思われるインタープレイを新鮮な気持ちで楽しめました。

私としては珍しく全曲通して聴き終えました。

印象を一言で表すと、寂寥感せきりょうかん、です。

コロナのせいで自宅に閉じこもって聴いた時に前向きになれない人もいるのではないか、と案じます。

まあ、感じ方は人それぞれですが。

聴いてみたいという方は

john mclaughlin free download

で検索してみてください。

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3月3日(火) 多様性と住み分け

あるいは分別の欠如。

っと、なんだか「大上段から」的に始めてしまったものの、内容はそれほどでもないっすぅ。(失敬)

ほったんは、今でもその歌声が大好きな薬師丸ひろ子が出演したテレビ番組を見たことでした。

「The Covers」という番組です。

録画しておいたので放送日を確かめると昨年の6月16日。(汗)

8か月以上寝かしてしまいました。

長い間見なかった理由を自分なりに考えてみました。

同番組を以前にチラッと見た際に、司会のリリー・フランキーという人に対して良い印象を受けなかったこともその一つかもしれないと思い当たりました。

彼がある種の才能に恵まれていて世間にも認められている人らしきことは知っています。

以前に見た伊丹十三氏を追悼するローカル番組に出ていた彼が、自分がマルチに活動できるのは先駆者である伊丹氏がいたお陰だ、と言っていましたね。

司会中に発する受け狙いの独特なフレーズの中に面白いものが時々あることも分かりました。

それでも好感がもてなかったのです。

彼の業界人としての自意識に偏りがあるように感じるからでしょうか。

見るのが遅くなった言い訳はこのぐらいにしておきましょう。(苦笑)

まず番組冒頭にダイジェストが入っていることにげんなり。

録画して見る派な人にはうっとうしいだけですので。

会話部分は倍速で再生して見ました。

そして待望の歌唱シーンへと。

音質、バランスなどの調整は問題ないレベルなのですが。

伴奏が良くない。

演奏が下手なのではありません。

楽しんで、あるいは楽しんでもらいたく演奏しているようには聞こえてこないのです。

そのくせ歌の邪魔になる、という。(失敬)

お仕事でやっているのは重々承知してますよ、っと言いたくなってしまいました。(笑)

素人のど自慢大会の伴奏であるなら及第点以上でしょうけど。

最後の3曲目の頃にはずいぶん改善されてはいました。

ストリングスの人たちは最初から比較的良かったかな。

クラシック畑の方々なのかどうかは分かりません。

クラシックの演奏家であるなら曲の好き嫌いを演奏に反映させることは厳禁ですよね、きっと。

ポップス系の伴奏者でも同じだと思いたいのですが。

それともジャンルが異なることによるのではなく、時代が変わってプロ意識が変質してきたのか。

専属バンド、という懐かしいことばを思い出してしまいました。

専属バンドって贅沢なことだったんですね。(今さら遅っ)

要するにリハーサル不足だったのかもしれませんが、いただけません。

同番組を通しで見るのが初めてだったために意表を突かれたのは、中間部に挿入される別コーナーでした。

ミッツ・マングローブたちによる、水商売店舗見立て昭和歌謡史雑談会、みたいなものでした。

なんじゃいこりゃ。

バラエティー番組だったんか。

ゲストの気持ち考えとんのか。

と、心の中で言葉使いまで荒れてしまいました。(怒)

その昔「二丁目なう」というテレビ番組が好きで、連れ合いといっしょに見て楽しんでいた私は、LGBTQの人たちに寛容で偏見をもっていない部類の人間だと自負しています。

が、しかし、多様性を認めることと、何でもごちゃまぜに混在させて「ごった煮」にすることは別次元の話だと考えています。

レギュラーコーナーなのかどうか、8か月後(笑)の今も続いているのかどうかは知りません。

どちらにしろ不自然極まりない本編との組み合わせだとしか思えません。

時にはカオスも魅力的なのかもしれませんが、通常は秩序を維持するために、表題にした「住み分け」も必要であると考えます。

自分とは異質の他者を認めることは、その他者との同居を許容することとイコールではありませんから。

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