4月28日(土) |
積ん読バレバレ ここんとこ再三取り上げている山下達郎のBrutus Songbookのお話です。 「山下達郎のサンデー・ソングブック」の前身番組が「サウンドストリート」だということは同誌73ページの山下氏へのインタビュー記事中に載っています。 一昨日にその部分を読んだもんで、いままでの頓珍漢な記述、誠に申し訳ございません。(苦笑) 買っただけで読んでいないということが浮き彫りになったかたちですね。 同特集の最初から読み始めていたことはいたんですよ。けど内容が濃いもんでそこまでたどり着いていなかった。と、そういうわけでございまして。
言い訳ばっか続いている今日この頃であります。 Brutusは雑誌という位置づけだと思うんですが、内容から見てこの号はムックに近いです。保存に値します。 なぁ~んちゃって話をそらしてみる。(老眼いじめ) ということで、これ以上ボロがでるといけないんで同誌の話はこれでおしまい。 |
4月24日(火) |
記憶の断片化か 自室の片付けを続ける中、カセットテープの取捨選択をしようとしていた時のこと、FMラジオ放送番組をエアチェックしたものが出てきました。 タイトル名として書かれていたのは「サウンドストリート」。ボールペンを使って自分で手書きしたへたっぴーな文字を見た瞬間にある記憶がよみがえったのでした。 以前にこのコーナーでふれた「山下達郎のサンデー・ソングブック」の前身番組はこれだった、ということを。(汗) 「若いこだま」っていうのは、さらにその前の番組名だったと思います。自信はないけれど、、、
ネットで調べれば簡単に分かるんだろうけど、記憶力の鍛錬のために、あえてその方法を封印する私。(手抜きの言い訳) 後にTBSテレビの深夜番組「ポッパーズMTV」で初めてその容姿を目にしたピーター・バラカン氏も「サウンドストリート」でディスクジョッキーをつとめていたんじゃあ~なかったかなぁ、確か。
おまけで断片記憶をもう一つ。喜寿を迎えた小林克也氏を私が初めて知った時のお話を。 なぜいまだに覚えているのか、それには理由があります。同氏があるラジオ番組の中で紹介していたのがその頃アメリカで発売されたばかりのyesの3枚組ライヴアルバム「YESSONGS」だったからなんです。 なんせ当時の私はすでにyesの熱烈なファンと化していましたもんで。強烈に印象に残ったわけです。(笑) FM東京で放送されたその番組内では、小林氏ともう一人の男性がそれぞれ音楽批評をしていました。 小林氏の同アルバム評は、適当に持ち上げるわけでもなく客観的なバランスのとれたもので、ファンの私にとっては色々な付随情報を知ることができた有益なものでした。 驚かされたのは、もう一人の男性が述べた別のアルバムに関する解説、批評に対して、小林氏が辛辣にかつ痛烈に全否定したことでした。今思えばその後のスネークマンショーのネタように。 二人の力関係や年齢差などまったく知らなかった私は、その男性が怒りださないか心配するほどの小林氏の詰問でした。 ただ冷静に小林氏の発言内容を聞いていると、一人のロックファンとしての私がしごく当然と納得できるものでした。 むしろもう一人の男性の言っていることは、失礼ながら業界人として当たり障りのない言葉を選んでいるような軽口系の香りがするものでした。 よってそれぞれの発言内容の質の違いから反論、というか反証は私からみても不可能でした。その男性、お気の毒様。 私は今でも小林氏のテレビ番組「ベストヒットUSA」をほぼ欠かさず録画して見ています。 若い頃は激辛口批評のパイオニア的存在だった彼も歳を重ねてずいぶんと丸くなってはいるものの、おかまいなしに何でもほめておく、という無難な解説にはとどまっていないところに誠意を感じています。 ところで今回私の記憶が著しく断片化しているのを実感し、パソコンのようにデフラグできたらいいのに、と考えてしまいました。 んがぁ、私の記憶は断片化しているだけでなく欠損している部分も多いので、脳がクラッシュ間近のハードディスクに似ているのかもしれません。(泣) |
4月5日(木) |
チラシ引用最終回 ティン・パン・アレイのチラシ文字起こしを今回で終えようと思います。3ページ目はこんな感じです。
それでは文字起こし開始。以下引用の始まり。
細野晴臣レコーディング完了。
待望の細野晴臣のニューアルバムがついに完成した。音の方はもうじき耳に出来るはずだが、一足先に、データをおとどけしておこう。 昨年十一月よりレコーディング開始というから約半年かけて制作された、細野2枚目のソロアルバムである。前作「HOSONO HOUSE」から2年、このアルバムで、全くユニークな「トロピカル・サウンド」を完成させている。 プロデューサーとしての細野晴臣の評価はすでに充分高いものがある。その細野がここで完成させたサウンドは、世界的に見ても、全く独自の質を持ったポップ・サウンドに仕上がっている。その新鮮さは聴く者全てに大きな驚きと感動を与えるに違いない。と同時に、ベーシストとして(これは言うまでもない)、ソングライターとしての細野がますます円熟している事を再確認するに充分であろう。
夏には新しいバンドで活動を始めたい! と細野晴臣は語る。バンド名はすでに決定している。レコード・タイトルと同じ「トロピカル・ダンディ」である。ところがメンバーが未定、このバンドでは細野は、何とベースは弾かないつもりだという事。仲々の美声の持主でありながら、今まであまり聴く事の出来なかった彼のボーカルを、今度のバンドではたっぷり聴けそう。 「トロピカル・ダンディ」に変身し切った細野晴臣は、伝説の世界から今、大陸をはるばる越えて陽気に歌いながら、そこまでやって来ている。 [コボレ・バナシ]
全告白
昨年十一月いよいよ、一同楽しみにしていた細野晴臣氏のレコーディングが開始された。 彼がスタジオに入り、いよいよ音が出るのだなと思い、息をころして待っていた所、本人何かゴソゴソやっているが一向に音が出てこない。どうしたものかとスタジオの中をのぞいてみると、何と!まだ曲が出来ていないそうである。私は、顔面蒼白、全身硬直、もう少しで失禁するところであった。 「細野先生、こまるではないですか、どうしてくれるエッ・・」とにじり寄ると、彼はジリジリと、後ろに下がり、これ又顔面蒼白、体中、油汗タラタラ、「いや次回までにはきっと、きっと・・・」と云う。それではと、当日は中止、何日かたって、又スタジオに入ると、少し曲が出来ていたので、何曲かはリズムパターンのみレコーディングをし、後日またということで終了。これを何日か繰り返しているうち、細野晴臣氏は、大煮つまり人間になり、やればやる程だんだんだめになってくる。これではしょうがないと一同、ない知恵を絞り、一ヵ月間中止することにした。(真相は、私がうっかりしていて一月のスタジオをおさえるのを忘れていて、すでにかぐや姫とイルカのレコーディング・スケジュールが入ってスタジオがいっぱいだったのです。でも、私のミスが後によい結果を生んだのだ!) 一ヵ月の休みの間、彼は久保田麻琴氏に会い、彼より新たなる霊感をさずかり、ファンク人間から、細野"トロピカル・ダンディ!!"晴臣人間に生まれかわったのでアル。 彼は、何かのきっかけをつかみ、軌道にのるともうしめたもの、あとはどんどん、どんどん、一時間一曲の割合で曲は出来る、詩は出来る。もう大変、レコーディングは驚異的なスピードで進行し、もうすばらしい出来で言うことなし、スタッフ一同、部屋中走りまわって、手をとりあって喜んだものである。 さてこのようにして、出来あがったLPがいよいよ六月二十五日皆様の手におとどけ出来る事になりました。(熱帯のイロ男、細野晴臣のポップスの世界が大陸をこえて、ただ今到着)というキャッチフレーズで発売いたします。もうすでに次回のLPの曲も出来、早く録音してくれと細野氏よりせがまれている毎日です。 では皆様お楽しみに。
以上引用終わり。引用は原文ママ。 当時の現場の熱気が感じられますなぁ。
4ページ目はコンサートスケジュールが主なので画像だけ載せておきますね。
このチラシは4ページ目のスケジュールに載っているこのコンサートに行った際に手に入れたと思われます。記憶にはありませんけど。(苦笑) |
4月1日(日) |
生が尽きたら死がツバか 新年度初日から意味なし表題とともに迎えるエイプリルフールであります。何卒ご了承下さい。(苦笑) 前回のつづき、ティン・パンのチラシ2ページ目をお送りします。
それでは2ページ目を文字起こしして載せます。以下引用の始まり。
TIN PAN ALLAY 第一弾
4月14日付ミュージック・ラボ(アルバム・チャート)26位初登場
天才ギタリスト 鈴木茂が昨年10月単身渡米、リトル・フィート他ウエストコースト超一流ミュージシャンとセッション、完成した話題作、おかげさまで好調に売れています。
鈴木茂は、帰国後新バンドの為のメンバーを探していたが、佐藤博(キーボード)、田中章弘(ベース)林敏明(ドラムス)の三人と共に、ハックルバックという名の新バンドを結成、ステージ活動を始めた。佐藤博等はこれまで主に関西で活躍していたミュージシャンであり、特に佐藤博は、ブルース・フィーリング豊かなベテラン・プレイヤーであり、佐藤の高い音楽性と鈴木茂の音楽性の出会いがハックル・バックの可能性を導き出してゆくであろう。
特別寄稿
昨年春かぐや姫の所属するユイ音楽工房の陣山氏(たくろうオールナイトニッポンで、サイン要求のファンレターが三千通を越したというスタープロデューサー)から、当時のキャラメルママのマネージャー桑原氏を紹介された。又、厄介な話でもと迷惑千万の面持ちの小生、この顔色の冴えないペンキ屋スタイルの男と話すこととなった。彼、開口一番「はっぴいえんどからキャラメルママ、そして今度ティン・パン・アレイという音楽集団を編成し、彼らの創造する音楽を武器に本格的にニューミュージック戦線に出征したい。プロモートしてくれますね。」ときたものだ。 ----以来、このペンキ屋マネージャーと共に、各メジャーが喉から手が出るほど欲しがっていた四人との付き合いが始まった。 南こうせつは「田中さん、クラウンがティン・パン・アレイと契約したって本当?」と、半分どころか殆ど信じられないといった顔で問い但すし、パンダは「細野さんがクラウンに入るなんて嘘でしょう。」と宣う。つまり、演歌のクラウンというレーベルイメージと彼らのはっぴいえんどからの「威光」は結びつかないというのが業界常識というものか。 こうなったらあの桑原ペンキ屋のうす汚れた顔を、真赤に染めるような大プロモーションを展開してやろうと秘かに張切った次第だが------。 三月二十五日に発売される「鈴木茂バンドワゴン」から、愈々当社の「冒険」が始まった。このLPのプロモーションの為に、小坂忠との全国ツアーが四月初旬から組まれているが、この準備リハーサルのために、当社スタジオは、毎晩彼らの練習場と化す。細野晴臣氏のアルバムは一応六月二十五日の予定だが、割と暢気に余裕を以て、春の夜長を彼らしいレコーディングが進行中である。 林立夫、松任谷正隆両氏は相変わらず裏方として、別れたかぐや姫のレコーディングをも、それぞれ助けてくれている。 正さに企画制作の準備は、当社のニューミュージックの「充実」を仲間意識の中で確認しながら進んでいる。 かぐや姫の大ヒットを礎に、ティン・パン・アレイ、イルカ、と派生して展開される「冒険」に、「宣伝」の当事者として取組んでいく宿命を背負わされて、いまさら陣山氏をうらんではいられない。洋盤レーベルもない、ニューミュージックプロジェクトもない当社の「弱味」を悔やんでいる余裕もない。南こうせつのデビュー以来、苦心して当社のフォーク路線を赤貧の状況で守りつづけてきた努力が今、報われた、と満足している暇もない。要は、充分な意欲と理解で彼らをプロモートしてゆく当社の「姿勢」をリードする中で「啓蒙」と「創造」がくり返されるのだ。 演歌のクラウンがニューミュージックに手を染めて以来、その仲間意識の充実が感じられる昨今である。勿論、かぐや姫の一連のヒットに負うところは大であるが、これから始まるティン・パン・アレイとの「冒険」に寄せる期待にも依存しているのだ。時代の移り変わりとともに到来する新しいものは、その新しさの故に時代意義を有する、とは著名な哲学者の言だ。当社もこれから始まる新しい体験に、一つの「変革」を志すことがあるかもしれない。(S50.3.23)
以上引用終わり。引用は原文ママ。 ふぅ~っ、お疲れ様でした。(笑)
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