2003年2月分

音楽雑記帳

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2月22日(土) 久々に聴いてみると

元々私はバンドthe brecker brothersが大好きだったのでmichael breckerのソロ・アルバムも4枚目までは聴き続けていました。

私は、その間彼があまりに正統的な形式のジャズに固執するようになっていったその姿勢の変化に馴染めず、それ以降は疎遠になったままでいました。

今年に入ってある人に彼のバラード集「NEARNESS OF YOU THE BALLAD BOOK」を強く推薦され、久々に彼の作品を手に入れました。

今まで私にとって彼の魅力は超絶技巧と屈折した感覚であり、いわゆる歌心は期待もしないし感じもしませんでした。

が、なんてったってバラードなわけで、この作品を無心で聴いてみることにしました。

怪しさ、いかがわしさのない健全な音に仕上がっているあたりが好みの分かれるところでしょうか。

共演ミュージシャンの豪華さを考えれば演奏が素晴らしいのは当然です。

ありきたりの正統派ジャズに終わっていないのはプロデュースしたpat methenyの手腕によると感じました。

心にゆとりがある時に音との一体感を感じながら集中して聴きたい類の音楽です。

2曲にボーカルで客演しているjames taylorの歌声が、彼の人間性からにじみ出る「アメリカの良心」的なものをあい変わらず感じさせてくれます。

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2月16日(日) 天才科学者の数奇な一生

数年前に我国でも巷の片隅で話題になったと記憶している電子楽器テルミンに関する映画「テルミン」のビデオを遅ればせながら先日見ました。

楽器自体よりもそれを発明したテルミン博士の生涯を中心にすえた構成になっていたので、中途半端な作りだろうという私の予想は外れて期待以上の面白さでした。

今では考えられない冷戦時代の現実や、人の生死まで偽る国家体制の恐ろしさなども浮き彫りにされています。

モーグ博士が自作のテルミンを演奏しながら解説する場面で、テルミンは音程や音量だけでなく音色も制御できることを知りました。

歴史にもしもは禁句かもしれませんが、テルミン博士が生涯を通じて自由に研究を続けたならもっと革新的な楽器類を発明したのでは、と残念に思います。

電子楽器に興味のある方は必見の映像記録だと思います。

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2月10日(月) コントロールする側の真の目的とは

CD屋さんで発売を知り、試聴してすぐに気に入り買ってしまったMASSIVE ATTACKの新作「100TH WINDOW」。

帰宅してじっくり聴いてみたところ、私にとっては昨年発売されたpeter gabrielの新作「UP」以来の大当たりでした。

それ系(どれ系?)の音がお好きな方にはおすすめです。

さて、今回は音楽の内容ではなくディスクの作りについて触れたいと思います。

先ほど初めてこの作品をパソコンで聴こうとしたら突然見慣れないプレーヤーが起動して再生を始め、驚かされるとともに再生音の音質が良くないことに気付きました。

そういえば何か注意書きがしてあったことを思い出して読んでみたところ「<ご注意>このCDはコピーコントロールCDです。」とのこと。

パソコンでは専用プレーヤーで圧縮ファイルを聴くことしかできない仕組になっているのでした。

音楽の良し悪しに関係なく興ざめ脱力。

その昔に喜納昌吉氏が、現代のヒット曲とは「流行り歌」ではなく、「流行らせ歌」だと看破していましたっけ。

最終的には必ず買う側が負担することになる買わされ経費(広告宣伝費等)は確かにできれば負担したくはない性質のものです。

しかし、かつてのようにその使い道が雇用の創出(多くの家庭の幸福の基盤)にまわされるのならまだ納得もできました。

ところが昨今では富の偏在を助長する方向にしか経済が回転しない状態になっているようですね。(ショッキング貧富)

「こん畜生!ただで音楽を聴こうとしやがってもそうは問屋が卸さねぇーぞっ!」

品位に欠けたそんな捨て台詞が聞こえたような気がしました。

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2月3日(月) 虚飾に麻痺した耳

ピーター・バラカン氏が進行役をしていた80年代のテレビ番組「ポッパーズMTV」における第1回目のポッパーズ大賞を受賞したのが確かDepeche Modeの「People are People」でした。

当時その映像、楽曲ともに面白いとは思いましたが、今まで彼らの作品は買ったことがありませんでした。

先日180円という激安価格で購入した彼らのアルバム「「A BROKEN FRAME」(1982)を聴いてみました。

基本的にBGMが嫌いな私ですが、今回は本を読みながら聴いたのです。

大音量で聴かれることを前提として作っているのか音数が少なく、剥き出し感の強い音です。

読書時にも邪魔にならない地味めの世界なので、神経を逆撫ですることもありません。

シンセサイザーの音色に個性はないものの手作りっぽいところが可愛いですね。

その昔音楽評論家のS氏が、日本では大音量で音楽を聴く環境がなかなかないのでサウンド貧乏性になりがちで結果として音数が多いほど有り難がる傾向が強い、と指摘していました。

そんな我国ではこういう簡素な音作りという発想は生まれてこないでしょう。

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