1月29日(土) |
やがて血となり肉となり 初めて彼らRAGE AGAINST THE MACHINEのライブ映像をちらっと見た後に、何故だかずっと気になっていました。 インタビューの中でボーカリストがアメリカ合衆国の社会的問題に言及していたこともその理由の一つでしたが、なにより音楽的に正統派ロックの流れの延長線上に位置していると直感したからでした。 最新アルバム「THE BATTLE OF LOS ANgeleS」をCD屋さんで試聴して、私の勘に間違いはなさそうだったので過去の2枚のアルバムも含めて買いました。 まず1枚目「rage against the machine」を聴いてみてレッド・ツェッペリンの影響大と感じました。でもまだ十分にこなれていないし他の要素とも上手く混じっていないように聞こえます。 2枚目「EVIL EMPIRE」までにかなり進歩して独自性を確立しています。
そして最新の3枚目を通して聴いてみて、久しぶりに凄い音に出会ったことを実感しました。 ドラムの重さはジョン・ボーナム以来と言ったらちょっとほめ過ぎでしょうか。
歌詞は未チェックですが、ピーター・ガブリエルより直接的に、しかも身近な社会的問題を扱っているようです。 時折みせる怒りの爆発的表現ではザ・フーを思わせますが、もっと抑制されている感じです。 やはり特にドラムでツェッペリンの影響がありますが、単なるパクリではなくしっかり血となり肉となっています。 全体の印象として私は最近のキング・クリムゾンに近いと思いました。
もしロバート・フリップがこの音を聴いてしまったら、次のクリムゾンの方向性を再考しなければならないのでは、などと勝手に想像してしまいました。 |
1月24日(月) |
つかみどころのない匿名性 あるメール・マガジンで、元10ccのLol Cremeが参加していることを知って衝動的に買ってしまいました。
クラシック音楽はほとんど聴かないのですが、ドビュッシーは音的に快感を与えてくれるので好きです。 この作品の内容も最先端の技法を駆使しながらも純粋に音的な快感を追求している部分が共通点でしょうか。
ただし、肉声を除けば誰がやっているのかは定かではない、というか顔が見えてこない不気味さを感じもしました。 サンプリング技術を初めて知り、その音を聴いた時の形容しがたい違和感を思い出してしまいました。 ところで、この頃「リスペクト」という言葉をよく見かけます。 音楽は鑑賞するだけという人は別として、かつては歌唱法や楽器の演奏法の難易度を自覚することが「リスペクト」を抱く過程での大切な要素でした。 先人の音楽作品の美味しいところを簡便に複製編集できる機材の操作法に習熟していく際に、果たして「リスペクト」の念はわいてくるのでしょうか。
|
1月10日(月) |
「ロック考古学」無用論、そして反省の弁 まず、私用により長い間更新が滞ってしまったことをお詫びいたします。 ホームページでの情報提示はよく「便所の落書き」にたとえられます。
しかし、情報を受け取る側が能動的であることを考えると単純に同一視はできないと私は思います。 昨年末に1ヶ月間まったくインターネットにつながないという体験をしてみた際に「ネット中毒」にかかっていたという自覚がありました。
「毒素?」が抜けた状態で自身のホームページを改めて客観視してみると思い付きの積み重ねを繰り返してきた経緯が浮き彫りになっていました。 この「音楽雑記帳」も私が最近の洋楽にほとんど興味がないために、言ってみれば「ロック考古学」化しているようです。あるいは懐古趣味でしょうか。 60年代から70年代にかけて同時代人として洋楽ロックを聴いてきた私にとって、それらの作品の音楽的普遍性を述べるには思い入れが大き過ぎるようです。 また、その時代のロックの魅力はその時代の「空気」の中で最も輝いていたと思います。 これからはこの「音楽雑記帳」では現在進行形で独断あるいは偏見を書き連ねていこうと考えていますので、よろしかったらお付き合いください。 |