ちょっと前のことがちょくちょく思い出せなくなっているのに気づいたのが、いつだったのかを思い出せません。 そのくせ理由は不明ながらいつまでも忘れないで覚えていることばがあります。 一番古いのは、高校時代に生物のM谷先生から聞いたことばです。 同先生からは、純水効果(だったと思う)というものを教わりました。 純粋な水にごく少量の毒物が混じっていると、飲んだ時に劇的に毒に当たる、というような話でした。 「どうすればいいと思う?」とクラス全員にたずねる先生。 私が心の中で考えたのが結局正解だったのですが、挙手して答えることはできませんでした。 食塩を一つまみ入れれば安心して飲めるものになる、ということでした。 私の記憶では、その話の延長線上で紹介されたのが以下のことばでした。 「両極端は一致する」 極端なものには用心しなさい、ということだと解釈しました。 いろいろなものごとに当てはめて考えることができることばだと思います。 次は社会人になり職務上読んでいた書籍に書いてあったことばです。 雑音についての専門書のまえがきに定義として最初に書いてありました。 正確な言い回しは覚えていないものの、おおむね以下のようなことばでした。 「情報が知性に昇華する過程で捨てられるものが雑音である」 情報というのはほとんど雑音(ノイズ)の集まりだったんだ、と勝手に目からうろこ状態になりました。 情報洪水になっている今こそ意識しておく必要がある考えだと感じます。 最後に、いつどこで何から知ったか覚えていないことばです。 「有名人とは二束三文で魂を売る人たちのことである」 作曲家プロコフィエフのことばとされていました。 しかし今現在ネット検索してもみつかりません。 今となっては引用した著者が原典確認を怠ったのかどうかを調べる術もありません。 記憶に残った理由は、ちょうど私自身が有名になりたいと思っていたタイミングで知ったからだと思われます。 自分でも理由を覚えていないのに、ことばだけ覚えているというのが不思議です。 ここ数年気にかけていることばは、あるカレンダーで知ったものです。 「逆境には忍耐、順境には用心」 私はコースアウトした生き方をしてきたので、せめて日常生活では心身ともに大きくぶれないように意識しつつ日々を過ごしています。 |
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