時々なんとなく思いつきでChatGPTを試し続けていたりします。 あいかわらず主な質問はポピュラー音楽関連事項、ならびに大昔の出来事に関する自分の記憶が正しいかどうかの確認、などです。
それでも使い続けているとこのシステムにも得手不得手があるようだと感覚的につかめてきました。感覚的になので的確に表現できません。 的を射た回答が続いた際などは、利用終了時に思わずお礼の言葉を入力しそうになってしまいます、AI相手に。 今後ディープフェイク的CGエセ人間が会話形式で対応するようになったら相当危険だと思います。AIだということを忘れて言われるままに信用するだけではなく、信頼までしてしまいそうで。 今のところ苦手な質問に対しては何度繰り返しても立ち往生してしまうことがあるので大丈夫ですけど。 入力は英語でも日本語でもOKなので、まずは英語での質問を考えて、できない時に日本語に切り替えるようにしています。 ネット黎明期には英語圏のサイトからしか有用な情報を得ることができなかったので、英語で考えることがありました。
日本語と英語の間を自由に行き来できるので便利ですよ。用途の本質とは無縁ですが。 そういえば用法の例として、犬の名前を提案させる、というような質疑応答とは異なる利用法も紹介されていましたっけ。設定を決めて書き出し部分を入力し、小説として続きを作らせる、なんていうのもあったと思います。
思いつくままに色々と試し続けてみることとします、気が向いた時に。 |
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