スコット・ギャラウェイの著作「the four GAFA 四騎士が創り変えた世界」は、GAFAの特徴を個別に詳述することから始まります。 抗うことのできない人間の本能に基づき、利用者の心理を巧みに操る方法でアプローチしてくる四者それぞれのやり方が述べられています。 関わった者は誰も操作されることから逃れられないのではないか、という漠然とした不安感を抱かされます。 また、しばしば引用される主張に即した統計調査の結果が、客観的事実として数字で提示され、読者の論理的な反証を困難にします。 読み進むうちに読者は、「情」と「理」の両面で四者の絶対的優位性を認めさせられてしまいます。 私が感じたのは、四者は互いに競合する分野もあるものの、補完的な役割を担っているようにも見えることです。 私自身の卑近な例を考えました。 かつては分からないことがあった際に、ちょくちょく自分よりも博識な友人知人に教えてもらっていました。 グーグルで検索するようになって以降、ネットで調べればほとんどの問題の適切な回答が迅速かつ手軽に得られるようになりました。 結果としてそれまで連絡をとり続けていた数少ない友人知人との関係が、意図したわけではないのに希薄化していきました。 グーグル検索利用と人との付き合い方との相関関係を、恐ろしいことにこの著作を読むまで自覚していなかったのです。 結果として、田舎に住んでいる私は友人知人と手紙、電話、メールでやりとりする頻度が激減しました。 孤独遺伝子をもっていると自覚している(苦笑)私ですが、GAFAの影響による変化であることには苛立ちを禁じ得ません。 ごく普通の人ならば、希薄化した人間関係を補うために率先してフェイスブックに飛びつくのではないかと推測しました。 日常的な消費活動である買い物についてはどうでしょうか。 新たな商品の購入を考えた場合、真っ先にアマゾンで検索するのが普通になってしまっている自分がいます。 買い物には車で行かなければならない片田舎に住んでいるからなのでしょうか。 もしも私が都会にいて徒歩圏内に商店があったとしても、行く前にアマゾンで当該商品の価格調査をしてしまいそうです。(笑) ネットのGAFA的な流れに巻き込まれないように努めているつもりの私ですが、この10年余りで日常生活においても多大な影響を受けてしまっているようです。 プライベートなことまで把握されてしまうGAFAによる個人情報の利用に対して危機意識をもっている人は、国内にどれくらいいるのでしょうか。 自分は犯罪を犯すつもりも国家に反逆するつもりもないので関係ない、と考えているなら、それは誤りだと思います。 一人の人間が個人的にピンポイントでターゲットにされることはむしろ希でしょう。 著者はGAFA(内の超エリート)を少数の支配者、その他(私たち)を農奴に例えています。 これはこの著作がアメリカ合衆国国内向けに書かれているからだと私は思っています。 視野を地球全体に広げて例えれば、人間と下等動物、くらいの大きな隔たりがあるとした方が現状に合致しているでしょう。 ピンときたでしょうか。 ゴキブリなどある特定の害虫だけを選別して駆除する薬剤はすでに存在していますよね。 ある共通の属性をもった人たち(害虫という下等動物)だけを標的にして、特定の操作(害虫を駆除)をすることはすでに可能となっているでしょう。 政治的、経済的な影響を及ぼし得るのです。 現実的な危険性を感じていただけましたか。 著作の前半では、GAFAに批判的な論調があったり、GAFAに対して警戒を怠らないよう注意喚起をする記述もあります。 GAFAが支配する世界でどのように生き延びるかという後半には、何らかの救いがあるのでは、と期待をして読み続けました。 ところがその内容を要約すると、当面はしっかりとGAFAの仕組を学びなさい、という私の期待とは正反対のものでした。 啓蒙活動ですか。(皮肉) なんだか肩透かしを食らったようで、少々腹が立ちました。 その後少々時間をおいて気がつきました。 もしかしたらアメリカ合衆国お得意の技を用いて、前半をブラフで脅しておいて後半で懐柔しているのではないのか、と。 強大なGAFAに対抗する手段はあるのか。 ネットなどまったく利用しない田舎のじいちゃんばあちゃんの暮らし方が、意外にゲリラ戦的でヒントになるかもしれません。 オルタナティブな道ですね。 若い世代に、ネットというプラットフォームを介しない(のが無理なら過度に依存しない)生き方を模索する人たちが現れることを期待しています。 私のGAFA観は悲観的で被害妄想が過ぎるでしょうか。 例によって偏屈バイアスがかかってますから、その点をご承知の上お受け取り下さい。(苦笑) |
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