YMOがテクノ・ポップという言葉を浸透させた後にそれに続けとばかりに登場してきたのがこの2つのバンドとプラスチックスだった。 アナログ・シンセサイザーでピコピコした音を出していれば即テクノ・ポップという安易なくくり方だったが、それぞれのバンド自体はそのように位置づけられることをどう思っていたのだろうか。
私はテレビで一度見てすぐにヒカシューに興味を持ち、すでにレコードも買っていた。
一方P-MODELも同様にテレビで見てなかなか面白いと感じたが、言葉の扱い方で生理的に拒絶してしまう部分があったと記憶している。 ヒカシューにはドラマーがいなかったこともあり、どちらかといえばP-MODELの方が音はロック的なノリだった。 このコンサートでは最初にヒカシューが演奏し休憩の後にP-MODELが演奏するという筋書きになっていて、記憶ではヒカシューの演奏後に聴衆からアンコールの声があったが無視された形になった。 後から明らかになったのだが主催者との申し合わせでどちらのバンドもアンコール演奏はしないという取り決めになっていたのだ。 そして予定通りにP-MODELの演奏が終わると、ほとんどのお客さん達は今夜はアンコールはないんだと察して帰ってしまったが、一部の人達(私含む)は興奮していて明るくなってもアンコールを求め続けていた。 私もいたことで分かるように、必ずしも熱狂的なP-MODELのファンだけが残ったのではなく、ただただもっと彼らの演奏が聴きたかったのだ。
っと突然P-MODELがステージに現われ演奏を始めた!大喜びの我々! やがてP-MODELの平沢氏がメガホンを使って申し合わせを破ったことを謝罪した。
主催者にどのような意図があったのか不明だが、結果としてどちらのバンドにも嫌な思いが残っただろうし、会場に残っていた人達の後味も悪かった。 追記(2019.08.21)
このコンサート関連で最初にみつけたブログ。当事者からの証言とはかなり異なった内容です。
P-MODEL関連のサイトで詳しい情報が公開されていました。
当時のP-MODELのベーシスト秋山氏のブログにも当時の状況が記載されています。
この時期に交流のあった竹場元彦氏が亡くなったことを知ったサイトです。
竹場元彦氏の生前の動静の一部を知ることができました。
竹場元彦氏はツイッターを利用していたようです。
私の竹場元彦氏との思い出を記録しました。 |
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