前座は日本のプログレ・バンド、コスモス・ファクトリーだったと思う。 日本語の歌詞がはっきり聞き取れて何だか恥ずかしかった記憶がある。あの頃は、日本語を変な英語的発音で歌うことはなかったのだ。 さてムーディー・ブルースだが、あきらかにバンドとしての旬は過ぎていた時期の来日だ。 そういえば当時、中華人民共和国のラジオで初めて流れたロックが彼らの曲だったという話題があったなぁ。
キーボードはメロトロン1台だけという考えてみれば過激な編成! 木管楽器奏者(堅い表現)もいてなかなかの演奏をしたのだろうが、いかんせん武道館の音響で微妙なニュアンスを聴き取ることは難しかった。 ヒット曲「サテンの夜」でかなり聴衆が盛り上がっていたが、当時は外タレ(死語)の来日は少なかったので、そのアーティストの熱狂的なファンではなくても名前を知っているだけで見に行ったりしたものだったのだ。 だからアーティストのライブを見て感動して好きになり、後からそのレコード(当時)を買い集めるということもままあった。 私もこのコンサートの後、彼らのアルバムを買い集めた。
・・・ということは残念ながらなかった。 |
前を読む | お懐古さんに戻る | 次を読む |