2019年7月分

音楽雑記帳

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7月27日(土) 異端者がスタンダードに

で、タンゴと言われたら。

ピアソラ。

ですね。

BS放送のテレビ番組「おんがく交差点」をちょくちょく録画して見ています。

ゲストが演奏するコーナーで、「リベルタンゴ」など彼の作品がしばしば選ばれています。

私が彼のことを知ったのがいつだったか思い出せません。

が、ふとCDラックを見ると、なぜか彼のアルバムがありました。(苦笑)

2枚組の「Live in Tokyo 1982」です。

1982年は私が結婚した年なのではっきり覚えていますが、この時点で私は彼のことをまったく知りませんでした。

このコンサートを見に行った人たちはどの程度の音楽ファンなのでしょうか。

一般的なポピュラーミュージック好きなのか、ラテン音楽愛好家というレベルの方々か、それも私は知りません。

先日、洗濯物をたたみながら2枚を通して聴きました。

全編を聴いたのは初めてかも。(汗)

あいかわらず寝かしておいたようです、十年以上。

私には色々な聴き方ができる音楽のように感じられます。

BGM的にも聴くことができるし、感情移入して聴くこともできる、というような。

正統派のタンゴ愛好家からは、彼の個性的な作風からか当初は異端者扱いされた、という事実をテレビ番組で知った記憶があります。

そういえば半年くらい前だったか、VHSビデオに録画されていたNHKで放送されたピアソラの特番をDVDにダビングしましたっけ。

物持ちだけはいい私です。

多分その番組が放送された頃、第何次かのピアソラブームがあり、例によって風見鶏的に私が録画したものがカビもはえずに残っていたものと思われます。

一応当時一度はその番組を通して見ただろうと思われるのですが。

今度確かめることとしましょう。(何年後だか)

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7月23日(火) まだ怒ってる?

今月頭にMTVチャンネルで無料放送された全英ヒットチャートを見ていたら、ある楽曲が忘れていた感覚をよみがえらせてくれました。

BLACK MIDIというバンドの「Crow's Perch」という曲で、46位でした。

時代でいえば音楽のジャンル名がパンクからなぜかニューウエーブに変わっていった頃の感じ、でしょうか。

とがった痛み、危険性、怒り、などなどを伴った緊張感です。

ゆるんだ私の日常生活にないもの、ですね。(苦笑)

ネットでちょこっと調べてみたら、まさに私がその時代に知ったラフトレードというレーベルと契約したイギリスの若いバンドでした。

イギリスの若者の中には、まだ、なのか、また、なのか分かりませんが怒っている人たちがいるようです。

40位代とはいえヒットチャートに入っているということは、この種の音楽を求めている人たちもまた存在するということですね。

やっぱ平和ボケの日本とはだいぶ状況が違うようで。

もっとも例によって歌詞なんか全然聞いてない上での判断ですけど。

前衛ジャズロックや怖いプログレ(笑)、という懐かしい雰囲気を感じさせてもくれますよ。

特にドラム最高!

ネット情報によると彼らは色々なタイプの楽曲を演奏するらしいのですが。

今のところ意図的に他の曲は聴いたり見たりせずに、この1曲のPVをくり返し見ています。

おっと、ネットにこの曲のライヴ動画があることもチラ見で知ってしまったものの、気になりながらも見ないでいます。(意固地か)

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7月3日(水) 孤高のおふたり

とは、小林克也とピーター・バラカンの両氏のことです。

先月見たベストヒットUSAの「ローリングストーンズ特集」という特別番組のゲストがピーター・バラカン氏でした。

以前に小林氏の喜寿を記念したNHKラジオの連続特番でピーター・バラカン氏が出演した回を途中から聞きました。

それ以来の両氏の顔合わせで、テレビ番組内では初めてとのことでした。

ラジオの時と比べると、小林氏は吐く毒をだいぶ薄めているように感じました。(笑)

長年の経験からメディアによって使い分けているのでしょうか。

洋楽ファンを長く続けている人であれば多かれ少なかれ両人から影響を受けているでしょう。

もちろん私自身もです。

私が若い頃は渋谷陽一氏にも関心がありましたっけ。

が、しかし。

渋谷氏の、「そもそも日本人が洋楽ばかり聴いているのが不自然な状況であり日本のロックを聴くのが自然だ」という主張が私を変えました。

その至極当然直球ストレートさが私の同氏に対する興味を消失させたのでした。(苦笑)

おっと閑話休題。

番組を見て初めて知った事実もいくつかありました。

特にデビュー後初期の頃のエピソードが興味深かったです。

ブライアン・ジョーンズがバンド内で力を失った理由は作曲できなかったからではないか、などなど。

そういえば陰謀論にはまっていた大昔にネットで目にした情報がありました。

ローリングストーンズの楽曲はダヴィストック研究所でジョン・マクラグリンとジョン・ポール・ジョーンズがセッションをして作っている、とかなんとかかんとか。

本当だったらおもしろいですね。

っと、閑話休題アゲイン。

一家言をもち妥協を嫌うおふたりが対談できるようになったのは、それぞれ年を重ねて丸みを帯びてきたからかもしれませんね。

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