1月28日(火) |
生き証人だった頃の記録 先日早朝から連れ合いと日本昔ロックの話題で盛り上がってしまいました。 きっかけは私が本屋さんで立ち読みをした「エゴ」という故加藤和彦氏のインタビューをまとめた書籍の内容の一部を連れ合いに話したことでした。 インドア派の私と異なり行動的な連れ合いは、日本のロック黎明期に野音(日比谷野外音楽堂)に足繁く通ったそうな。 同書では、当時の日本ロック界における加藤氏周辺の出来事が本人から語られるとともに、時代背景も詳説されています。 立ち読みした際に買おうかどうか躊躇した私は、結局買うのをやめました。 なんせ積ん読状態の本が身辺にけっこう沢山あるもんですから。(苦笑) 先日連れ合いが同書を買ってきてくれました。 どうやら私の話を聞いて本人も読みたくなった模様。(笑) 読了した後に当コーナーにて詳述いたします。(あくまで予定ですから) |
1月6日(月) |
ポピュラー音楽の多様性 年の瀬に大瀧詠一氏が亡くなったことを知った。 「日本語のロック」をするバンドであったはっぴいえんどにハマった世代よりちょこっと年下の私は、ソロになってからの同氏から多大な影響を受けた。 洋楽アーティストから音楽性を模倣することに終始した私が同氏から教わったのは、いわゆるポピュラー音楽の懐の深さのようなものだと思う。 世界中の素晴らしい音楽を紹介することによって西洋音楽が最上の音楽という固定観念を覆してくれた小泉文夫氏とともに、同氏に対しては恩義を感じている。 「ナイアガラ・ムーン」のアナログ盤を買うに至ったのは荻窪ロフトで聴いて衝撃を受けたことがきっかけだったと記憶しているが、事実だったかどうかちょっと自信がない。 ロック喫茶からライブスポットへと時代が移り変わる頃だったことは間違いない。 同アルバムは相当回数聴き込んだし、今なおCDを時々聴いている。 「A LONG VACATION」のアナログ盤も買ったものの、同氏の全作品を聴いていない私にとって「ナイアガラ・ムーン」が彼の作品ではマイベストだ。 洋楽を模倣して邦楽化する手法の先駆者として、ロカビリーブームからグループサウンズブームを経て今なお現役のかまやつひろし氏が馴染み深い。 大瀧氏の場合は元ネタを臆面もなく公表する点が当時としては斬新であった。 それはけっして開き直り、金儲けのために盗んだ罪悪感からの懺悔、みたいなものではなく、だって好きなんですもの的な、手本とした音楽に対する愛情があればこそだったのが伝わってくるので好感がもてたのだった。 良い音楽と売れる音楽が一致しない業界内に身を置いた同氏がジレンマに苦しみ続けていたのかどうか、私は知る由もない。 古き良き時代、という言葉がある。 良い音楽は古くならないことを私に知らしめてくれたのが大瀧詠一氏だった。 同氏が生きていれば新たな展開も期待できたであろうに、それが残念だ。 |