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ゴミの質的変化

No.149(2005.11.05)


私が農村で田舎暮らしを始めた頃、まず驚かされたのはゴミを平気で投げ捨てる人が非常に多いということでした。

それが単に道徳心の欠如からきているのではない点にも悩んでしまいました。

何故かというと、私よりかなり年上の分別のある初老の世代の男性達に特にその傾向が強かったからです。

農村在住時に良き相談相手となってくれた方が最初に我家を訪れた際に、いきなり吸っていたタバコを庭にポイ捨てしたのでまずビックリ。

それを目の当たりにした連れ合いはかなりムカッっときたらしいですが、当時はとにかく農村にとけ込まなければならなかったので我慢我慢。(苦笑)

両切りのタバコなら割合早く土に還るのでしょうが、その時捨てられた吸殻はフィルター付きでした。

このフィルターがなかなか腐らないので厄介なんですわ。

もっと呆れさせられたのは、集落全戸で公民館及び共同墓地の清掃をした時のことでした。

掃除が終わって男衆は缶ビールを飲みながら談笑していました。

当時60歳前後だったある男性はお酒が強くありませんでした。

途中まで飲んでまだビールが残っている缶を、「もう飲めん!」、の掛け声とともに遠くへ投げ捨てぇ~!

って、今掃除したところなんですけど。(笑)

また、それを見ている一同も意に介さずって感じ。(汗)

ビールがひょうたん(笑)に入っていれば良かったんでしょうけど、アルミ缶は腐らないんですよ。(泣)

私が子供の頃は、肉屋で揚げたてのコロッケを買った際などに木を薄く削った皮や新聞紙で包んでくれてましたっけ。

そうです、昔は竹の皮など土に還るのが早い自然の材料で包装してたんですよ。

年配の方達は、ゴミは腐るもの、という感覚が身に染み付いてしまっていたのかもしれません。(好意的解釈)

考えてみれば江戸時代って今現代より進んだ文明だったのでは、、、

食物に限らずあらゆる生活用品が工業製品となってしまった現代では、「土に還る早さ」、なんていう尺度は通用しないのかもしれません。

近所に、道路拡張に反対して土地を売らなかった偏屈ジジイ(失敬)が居ます。

その人のせいもあって私は以前にスリップ事故を起こしたわけですが。(責任転嫁)

爺さんは、道幅が狭くなったところの両脇の自身の土地上に、そこに投げ捨てられた全ての空き缶について、その穴を細い竹に挿したものを並べて立てています。

要するに投げ捨てられた全ての空き缶を道の両脇に陳列しているのです。

どんな人かは知らないものの、こちらの爺さんの感覚の方が正しいのでは、とも思う今日この頃です。

もっともそんな爺さんとお知り合いになりたいとはけっして思いませんが。(苦笑)


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