田舎では公民館の年次総会の来賓として市町村議員を招待することがしばしばあります。
農村に移住後初めての総会で、ちょっと変わった議員と出会いました。 彼は挨拶の際に直立した姿勢からいきなり開脚して尻を床につけ、高齢であるのに身体が極めて柔軟であることを強調したのでした。
私を含め多くの人が唖然としていました。 その後懇親会(飲み会)に入って席順に関係ない移動が始まると、その議員さんは私がよそ者と知っていて隣りに来ました。 話してみると人は悪くないし、考え方に共感できる部分もあったので熱烈ではないものの彼の支持者になりました。
数年後に、最近見かけないな、と思っていたらその議員はガンでもう助からないという噂話が伝わってきました。 寝耳に水だった私はさっそく連れ合いと一緒に病院にお見舞いに行きました。 意外だったのは見た目には彼は非常に元気そうで末期の肺ガンで助からない状態にあるとはとても思えなかったことです。 しかし付き添っていた奥様から、もう口からは何も食べられないので点滴をしていると聞くに及び、実状はかなり危険な段階まできていることが分かりました。 当時私達はマクロビオティックの料理教室に通い始めていて、病気治しのために参加している人達とも接していたので、なんとか議員の力になれないかと思案しました。 料理の先生とも相談して玄米スープ(調理法省略)を試してみることにしました。 できあいのものではなく我家で食していた玄米を用いて調理したものを冷めないようにポットに入れて病院に持参しました。 その場で試してもらったところ、無理なくのどを通って飲み込めたことに議員本人よりも奥様の方が驚いていました。 喜んでもらえたので足繁く玄米スープを届け続けたところ奥様が恐縮され、作り方を教えて欲しいと依頼されました。 我家で実際に作るところを見てもらい、また安心できる食材の入手方法もお伝えし、その後は奥様にお任せすることにしました。 その日に奥様から今までの経緯を聞かせてもらいつつ話し合う時間ももてました。
その後、年越しで一時退院されている時にご自宅に見舞った際にも彼はしっかりしていて、ガンを治そうという気持ちもまだあるようでした。 年が明けて再入院されたと人づてに聞いたので再びお見舞いに行きました。 病室の入り口に面会謝絶の札が下がっていましたがノックしてみました。 マスクをした奥様がドアを開けた途端に部屋の中からもの凄い悪臭が臭ってきました。 廊下で奥様から病状を伺ったところ、肺の内部に膿が溜まるので胸に開けた穴から吸い出しているそうで、その膿が何とも言えない嫌な臭いだとのことでした。 程無く彼は亡くなりました。 告別式が済んだ後に彼の息子さんから亡くなる際には安らかに息を引き取ったと聞かされたのがせめてもの救いでした。 私は必ずしも玄米菜食でガンが治るとは考えていません。 ただし環境や生活習慣によって患ったガンなら、信頼できる指導者のもとで玄米菜食を実践すれば治らないまでも上手にガンと共存し、なおかつ死に際して地獄の苦しみを味わうことはないように思っていますし、そのような実例も数多く知っています。 少なくとも西洋医学による定番の治療法で基礎体力を弱らせられたり、最新の治療法の実験台にされるよりはましです。 また、これさえ使えば必ず治る、などという怪しげな民間療法に頼る他力本願よりも、治そうという自身の意思の強さを要求されるという厳しい面もあるほうが自然だと感じます。 現状は、ガンに限らず難病の患者が西洋医学や民間療法、さらに怪しげな治療法まで全て実行してみて身も心もボロボロになってから玄米菜食と出会うことが多いそうです。 ガンや難病で死を告知されると平常心を失うのが普通なのでしょう。 私は、もし難病になったらどのような治療法を用いるか、ということを健康なうちに調べ勉強し検討しておいたら本人だけでなく家族も助かるのに、と考えてしまいます。 追記(2019.12.19) 玄米食をすれば末期ガンでも治ることがあるらしい、と耳にしてここにたどり着いた方もいるでしょう。 マクロビオティックに基づいた食事法などを実践してガンを克服した人がいる、ということ自体は事実だと思います。 だからといって、医者嫌いの方がガンの告知を受けた際に、マクロビオティックのような西洋医学以外の方法でのみ治療しようと試みるのは危険である、と今現在の私は考えています。 ひとくちに西洋医学以外の方法といっても、ピンからキリまでありますが。 もっとも西洋医学側にも、病院や医師によってガン治療に対する取り組み方がそれぞれ一様ではないという側面があります。 末期ガンと診断されて余命宣告を受けることによって平常心を失うのが常人です。 宣告に続く、医師の治療方針や想定される今後の経過などの説明が、真っ白になった頭には入ってこないのではないでしょうか。 そんな場合はある程度冷静さをとりもどしてから再度確かめる必要があります。 それでも納得できないのであればセカンドオピニオンを求めることもできます。 進歩し続けている西洋医学の現状と、その限界をしっかりと理解することが大切です。 治療の過程で日常生活の質がいちじるしく損なわれることもあるのがガン治療です。 苦痛をともなう治療法を選ぶのであれば、あくまで予想である延命できる可能性の大きさと延命期間の長さと天秤にかけることになります。 不確実性を認めた上での決断になるので、これも悩ましいです。 最終的にはガン患者本人が自ら選択決断するのが望ましいと考えます。 自動車運転免許証の裏には臓器提供の意思を記入できるようになっています。 交通事故で脳死状態になった場合に即応するためでしょうか。 臓器提供を希望する方にとっては、最善の処置をとってもらえる可能性が大きくなります。 臓器を提供するにしろ、しないにしろ、本人の意思に基づいていることになります。 臓器提供同様に、回復の見込みがない状態になった際の延命処置を希望するかどうかや、余命宣告を当人が知りたいかどうか、についての本人の意思も事前に明確にしておくべきだと考えています。 夫婦や親子など、家族間でお互いに早急に確かめておいて悪いことはないと思います。 二人に一人がガンになる時代だとコマーシャルなどでも聞いたことがあります。 自分から口火を切ってこの話題を取り上げてみてはいかがですか。 今でもこの古い記事が時々読まれていることが分かり、私自身も読み直して追記しました。 本文で紹介した末期ガンの方は、余命三ヶ月と宣告されてから二年間存命でした。 亡くなられた後に奥様からうかがった話では、一時的に体力を回復した時期には、病身にありながらもはりきって草刈機で刈り払い作業をされたそうです。 残された時間が少ないことを自覚していたらもっと大切なことをしたかもしれない。 離れて暮らしていた息子さんと過ごす時間をもうける、回顧録を執筆する、など。 限りある時間と体力をどう使うかの優先順位は変わったのではないか。 そんな感慨にふけってしまいました。 |
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