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農村で暮らす (19)

No.75(2002.03.05)


私の場合実家のお墓がお寺にあるので形式的には私は仏教徒ということになるのでしょうか。
しかし私にとっての仏教は実質的にはいわゆる葬式仏教化しているのが現状です。

私が移り住んだ農村のほとんどの家は土地の神社の氏子で、毎月の集金の際には神社費も併せて徴収されていました。

そんな実状を踏まえていた私はお隣りさんの、これも近所付き合いの一つだからそんなに難しく考えないでいい、という助言に素直に従って氏子になりました。

よそ者の私は本来氏子がしなければならないことの一部は大目に見て免除されているようでもありました。

基本的には集落ごとに色々な仕事を当番制のもち回りで分担していました。

1年のうちの一ヶ月間は境内の清掃当番が回ってくるので、その月は数回日曜の早朝に各戸二人ずつ掃除に行かなければなりませんでした。

また何年かに一度は初夏に行なう神社の山の下草刈りの仕事も回ってきました。

さらに年に一度の祭りの際にも集落ごとに色々な役割が毎年割り振られました。

私が移住した翌年の祭りでの我集落の当番は獅子舞でした。

集落の青年や壮年が担当することになっていたので、年齢的にちょうど該当する私はなし崩し的にその役に選ばれてしまいました。

全員初体験ですから祭り前の数ヶ月間に渡って年配の指導者に舞い方を教わるのです。

仕事が終わってから練習するので夕食後の夜8時頃から始めます。

私は獅子舞を素人の私が舞うなど想像もしていませんでしたしどのように舞うのか興味ももっていました。

けれども選ばれた人のなかには嫌々やらされたと感じている人もいたようでした。

それでも練習を続けていくうちに気が付くと全員が少しでも上達したいという気持ちになっていたのは不思議でした。

一頭の獅子を前後二人で舞うので息を合わせないと上手くいきません。

力を合わせることで心が1つになっていく。

日本人の心の原点はやはり力を合わせることなのかもしれないとこの時にも感じた私でした。


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