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農村で暮らす (12)

No.68(2001.11.19)


告別式の当日は全員が朝早く当家に集合します。

女性陣はさっそく全員で料理を作り始め、男性は買い出しに行く者、駐車場の草刈りをする者、受付の準備をする者、また料理の補助をする者とそれぞれ動きます。

「別れ飯」では葬祭社から借りたプラスチック製の食器を使いますので事前にそれを洗っておかなければなりません。

献立は地区ごとに大体決まっています。

漁協に注文しておいたマグロの大きなブロックを刺し身にするのは一番上手な男性の当番になっていました。

あとは塩さばの蒸し物、煮しめ、白和え、ソーメン入りの吸い物、そしてご飯はばら寿司(魚介類の入らないちらし寿司)というのが私がいた集落でのメニューでした。

これだけの品数を数百人分こしらえるのですから仮設の調理場は一時戦場と化します。

白和え作りで年長の女性2人が大きなすり鉢を間にして向かい合って座り、それぞれのすりこ木を左右交互に高速で押し引きしているのを初めて見た時には感動しました。

しかも必死でしているのではなく雑談をしながら片手間でという感じなのです。

片方のお婆さんが少し誇らしげに微笑みながら私にやってみるかと聞きました。

豆腐を無駄にしてしまいそうだったので真顔で辞退しました。
今思えばちょっとからかわれていたのかもしれません。

次の世代になったらフードプロセッサーを使うようになるか、または一足飛びに仕出し屋さんのお世話になっているかもしれません。

ビールの冷やし方も私にとっては新鮮でした。
農業用の浴槽くらいの大きさのバケツ型の入れ物を軽トラックに積んで漁協に行き、機械から直接そこに氷を入れてもらいます。
そしてその中に大量のビールを入れておくのです。

さて、参列者が次々に家に上がり「別れ飯」の上げ下げをする時に私達裏方の仕事量は頂点に達します。

食器が数十組しかないので下げ膳したら残飯を捨てて食器を洗い、すぐさま拭いてまた料理を盛る。

一時間から一時間半の間この状態が続きます。

当時の私には、皆で力を合わせて一つのことをなすことそれ自体に不思議な充足感がありました。

都会では経験したことのない一体感に、やはり私も日本人なのだと再認識しました。


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