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AIの責任能力

No.126(2025.10.13)


AIに責任能力がないことは自明の理です。

こう断定するのは私の誤りなのでしょうか。
あるいは、AIに関して論議する際の大前提、周知の事実なので暗黙の了解として確認作業が省略されているのでしょうか。

人間が行なう作業を迅速かつ効率的に代行してもらうためにAIを活用することに異論はありません。結果として雇用状況や教育環境が劇変していくことは技術革新時の必然なので受け入れるしかないでしょう。ディープフェイクなど著作権に抵触する空前の社会問題に対する法整備も急がれます。

私が問題にしたいのは、AIに決断を委ねるという用法です。すでにAIエージェントという言葉を頻繁に耳にするようになってきました。手放しで礼賛する報道がほとんどであるように感じるのは私に被害妄想的バイアスがかかっているからだけだとは思えません。

決断によって異なる結果が生じるので決断者が結果責任を問われることになるわけで、これまた自明の理だと私は考えているのですが。

責任能力がないものに結果責任を負う決断をまかせる。常軌を逸した判断だと私は考えます。

仮にAIがいろいろな決定をする社会においてAIに起因する壊滅的な実害が生じた場合に、責任の所在はどこにあるとするのでしょうか。

AIの開発者なのか、それともAIの導入者か、はたまたAIの現行管理者なのか。
AIには責任能力がないわけですから犯罪を犯した人間同様に無罪と考えればいいのか。

いっそのこと誰が責任を負うのかをAIに決めてもらえば、人間が介在しないので反対者もなく、受け入れやすいのではないでしょうか。
おっとっと、皮肉ですので、念のため。(苦笑)


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