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矢継早なる絵空事

No.118(2024.01.13)


物思いにふける。日常にそんな時間的余裕はありますか。

考える、というのとは少々異なるのでしょうが、そんな時に心の奥底で常々求めていたであろう何かがひらめいた気がすることが私にはあります。
早朝の散歩中や読書中にそんな状態になることが多いです。

頻度は低いものの、ラジオやテレビ、ネットを利用している時にもあります。その際には外部からの情報を遮断してしまうらしく、途中から自身の脳内での処理モードに入ります。

受けた情報中にきっかけがあると、それをかみ砕いて自身の知識や経験などとすり合わせ始めてしまうのです。

最悪なのは人と話している最中に相手の発言がきっかけとなってしまう場合です。
我に返った時には別の話題に変わっていて手遅れなことが多く、話を合わせるのに不自然さがないよう注意を強いられます。

良いことばかりではない妙な習性ではあるものの、脳内で化学反応を起こしているように感じられる、楽しくて大切にしたい時間です、日常生活において。

そもそもマスコミやネットから得られる情報が事実かどうか確かめる手段がないことから、接する機会をできるだけ少なくするように心がけています。

本来情報とは自分が主体的に必要性があるかないかを判断して取捨選択すべきものだと考えています。

しかし、この考え方には注意が必要です。自分の本体は自分でも分からないからです。主導権をにぎっているのは潜在意識なのです。

潜在意識の操作方法を究明する研究は現在進行中であり、中途での成果は消費を促したり心理を操るためなどに実用されています。悪用といえる用い方もあるでしょう。
私が人工的な情報を警戒する理由です。

接する情報から認知バイアスをかけられても気づくことはできないゆえに、大変恐ろしいことです。

アメリカ合衆国のテレビニュースを見ていると、国内国外ジャンルを問わず矢継早に次々とニュース情報が流されるので思考停止状態になってしまいます。
そもそも他国のことだから自分の生活とは直接関係ない絵空事だという気もします。

人工的な情報が「矢継早なる絵空事」として流されていても実害を避けるためにできるだけ接しないという対処法は考えられます。どうしても必要性がある場合でも最小限にするなど。

逆に、かつては本能として識別していた周囲の自然環境から得られる生き残るために必要な多くの情報を、「矢継早なる絵空事」と潜在意識が認識してしまい受け取る能力を喪失してしまったのが現代人だとしたら。

人類の進化ではなく退化ですね。

被害妄想が過ぎたでしょうか。


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