前回載せた我家の愛犬ノノは、さる12月5日午前7時40分に永眠しました。
生まれつき生命力が強い犬だったので回復する可能性もあるのではないかと期待していました。が、おそらく老化のために自然治癒力が弱まっていたのでしょう。 先述したように早い段階で投薬を中止し、また注射針を刺して腹水を抜くなどという荒療治を避け、ホスピスのような看病姿勢を貫きました。
ドッグ・イヤーと言われるように犬の成長(老化)の速さが人間の6~7倍だということを早くからしっかりと意識しておくべきだったと今にして思います。病状が悪化して体力が弱まっていくのも人間より速いのですから。 お腹が大きく膨らんでからも最初は大小の排便は短い散歩時にしていました。 まだ歩くことができるうちに尿の方が抑制できなくなったので、おしっこシート(ペット用ペーパーシート)を敷いて対処しました。 手助けし過ぎると脚力が衰えてすぐに歩けなくなってしまうと考えたので、歩けるうちはなるべく歩かせるように努めました。 数週間後には四本足で立ってはいられるものの後ろ足が弱くなったことと膨れたお腹が邪魔になることとで歩行が困難になってきました。
さらに後ろ足が弱まり脱糞の姿勢をとろうとするとしりもちをついてしまうようになったため、ノノの後ろからお腹の両側を両手で支えてあげながら大便をさせたのは死の数日前の1回だけでした。それまで食が細くなっていたのにその前日は驚くほど食欲が旺盛でいつもより沢山食べさせたためか、やや軟便気味でした。 死の前日の朝からは何も食べなくなり目に見えて衰弱していて元気がありませんでした。また、排尿も止まりました。 いよいよかと心配になり、その晩は連れ合いと交代で頻繁に様子を見に行きました。ノノはずっと目を開けていて一睡もしなかったようでした。 翌朝様子を見に行くと割り箸でつかめるしっかりとした大便が脱糞されていました。寝たきりで大便をするのは最初で最後のことでした。 頭を撫でてやると口を開閉しその際にクチャクチャと音がしたことから、口中のネバネバ感で気分が悪いのではと思われました。 連れ合いに死に水を取ってあげるように頼み、彼女は番茶を薄めたものをスポイトで流し込んで口をすすいでやっていました。
私も急いでそばに行き、それまでずっとしてきたように2人で顔と身体をもんであげたりさすってあげたりしながら話しかけました。
不思議だったのは死の10日前くらいから四つん這いになってもノノが苦しそうでなく、むしろその姿勢が楽になったことです。
仏教でいうところの四苦、生老病死という不可逆的かつ不可避な自然の摂理に逆らわなければ限度を超えた苦痛は味わわずに済むのでしょうか。 飼い犬の死に接するのはこれで4度目です。犬は死んで楽になることが分かっていても、残された者の愛別離苦は辛いものです。 もっとも日常生活にあっては四苦八苦するのが人生だということを忘れがちになるのが普通ですが。 |
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