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知的水準と礼儀作法

No.117(2003.07.13)


過去のこのコーナーに何度か登場した白人女性と出会った際に、私が意外に思った出来事について述べます。

当時、私と同じように彼女もまたマクロビオティックという生活法に相当感化されていました。

それに加えて彼女は東洋思想全般に対する探究心も抱き始めていた様子でした。

彼女が初めて我家を訪れた時は付き添いの日本人と一緒で日帰りでした。

彼女は周囲の自然環境にえらく感動したらしく着くなり屋外に出たり入ったりを繰り返しました。

その際に、恐らく土の上を裸足で歩いた方が自然で身体にも良いとそれまでに教わっていたからでしょう、靴を履かずに裸足で外も歩いていました。

そのこと自体は別にかまわないのですが、困ってしまったのは足の裏が汚れたまま平気で家に上がりこんできたからでした。

初対面だったので注意するほど親しくなっていなかったため、2度目に彼女が外へ出た際に連れ合いが急いで固く絞った雑巾を玄関に敷きました。

彼女はそれを見て察したらしくそれからは足の裏を拭いてから上がってくるようになりました。

ちょっと無神経だなとは感じましたが、欧米では土足で家の中に入る生活習慣もあるから仕方がないか、ともその時は思いました。

彼女が落ち着いてからじっくり話してみると、価値観や考え方に私と共通するものがあり、すっかり意気投合してしまいました。

そして滞日中に今度は単身泊りがけで遊びに来ることになりました。

再来訪時には時間にも余裕があったので私的なことも含めてさらに色々な話をすることができました。

彼女はフランス人でソルボンヌ大学を卒業していることや、現在はグリーンカードを取得してアメリカ合衆国に住んでいることなども。

フランスの教育事情に無知な私でも彼女の知的水準がかなり高いということは分かりました。

そんな折に今度は心底私が呆れてしまうことがありました。

彼女が入浴を終えた浴室の様子を見た時のことです。石鹸、シャンプー、浴槽のふた、かきまぜ棒などが無秩序に散らかったままだったのです。

何じゃこりゃ、というのがそれを目の当たりにした私の気持ちでした。

思わず彼女が年上であるにもかかわらず私は彼女に説教を始めてしまっていました。

残念ながら現代では失われつつある考え方だが、本来日本では礼儀作法をわきまえているかどうかが他人を判断する大きな要素であること。

よその家の風呂を借りるのであれば最初にあらゆるものの置き場所を記憶しておいて、入浴を終えて出る際には元通りにしておくのが礼儀だ、と具体的に指摘しました。

はっきり言ってもらわなければ分からなかった、日本のことを知ることができて嬉しい、と彼女は素直に感謝して聞き入れてくれました。

内心どう思っていたのかは分かりませんが、、、

欧米では知的水準が高いからといって必ずしも礼儀作法をわきまえているとは限らないのか。

それとも東西の文化の違いがそのような振る舞いの理由なのか。

その時私には判断がつきませんでした。

その数年後にたまたま見たテレビ番組である確信が得られました。

その番組は寄宿舎に泊まって共同生活を送りながら学ぶというイギリスのある中等教育をする学校のドキュメンタリーでした。

どうやらどちらかといえばエリートが進学するところのようでした。

番組中に、ある生徒がシャワーを浴びた後のシャワー室の状況を教官立ち会いのもとで調べられる場面がありました。

何とその教官は、シャンプーの置き場所が違う、とまるで小姑のような(苦笑)指摘をして生徒を叱っていました。

置き場所が違うと次に利用する者が困るというのです。

それを見た時の私は正に、我が意を得たり、という心境でした。

礼儀作法をわきまえていない者が知的水準だけ高くてどうする、という思いです。

現代の日本には偏差値を上げるために勉強を教えてくれるところは沢山あります。

それに比べて礼儀作法は異常なくらい軽んじられている、などと嘆くのは今時時代遅れなのでしょうか。


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