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日用品より芸術作品

No.107(2003.02.18)


農村に住み地元の小さな神社の氏子であった頃、しめ縄を架け替える当番が地区に回ってきた年がありました。

都会育ちの私は、しめ縄の作り方などまったく分かりませんので、稲わらを少しずつ手渡すことと最後の架け替え作業を手伝う程度のことしかできないという、情けない傍観者にしか過ぎませんでした。

その時の手を動かしながらの雑談で普段は話題にならない興味深い話が聞けました。

私より年長のいわゆる団塊の世代の人達が小学生だった頃には、海岸へ貝などをとりに行く前日に磯専用のわらじ(名前失念)を自分で作っておいたそうです。

その時代には、身の回りにある自然素材を使って日用品を自分で作ることがごく普通に行なわれていたようです。

思い起こせばどこの地区にも竹を使って上手にざるやほうき等の日用品を作るお爺さんがいました。

そんなお爺さん達には身体に何らかの障害をもっている人が多かったのは偶然だったのでしょうか。

当時の私はその手仕事に尊敬の念を抱くとともに羨ましくも感じました。

が、周囲の人達の考えは私のそれとは違っているように思いました。

中国等から輸入されるそれら日用品が安く手に入るので、日銭を稼ぐ能力を手仕事より重視していたのです。

要するに拝金主義が過疎化の進んでいる農村地帯にまで及んでいたのです。

時間をかけて一々日用品を自作している暇があるのなら働いて現金を手に入れる方が効率が良いという考え方です。

大都会には金を払ってまで積極的に他国の伝統文化や芸能を学びたいという人達が大勢います。

その一方自国に残る生活の知恵は省みられず軽視されています。

そんな社会は狂っているだけでなく非常に危うい、と言ったところで空しく響くだけで逆に嘲笑されそうな気すらするご時世です。


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