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農村で暮らす (23)

No.79(2002.04.10)


私が最初に覚えなければいけない神楽舞は初心者向きの短くて割合簡単な一人で舞うものでした。

練習に先立って師匠が過去の神楽を撮影したビデオテープを貸してくださったので、ダビングした後にそれを見て事前に舞いの構成をだいたい確認しておきました。

分かったような気分になって初稽古にのぞんだ私は、見ると舞うでは大違いなことをまず思い知らされました。
洋舞のような速い動きがなくても腰を低く保った姿勢を続けるのにはかなりの筋力が必要なことを実感したからです。

これはなかなか上手く舞えるようにはならないだろうと感じた私は思わず弱音をはいてしまいました。

すると練習を見に来ていた宮司も師匠も他の社人の人達も、初めての時は順番さえ間違わなければよいと励ましてくれました。
舞い方がどうのこうのというのは2年目以降の話だと言うのです。

当時の私はじっくり腰をすえて身につけていくという仕方を久しく忘れていました。

そのわけは元々のせっかちな性格のせいだけではなく、バブル期後半の東京でせかされるように生活してきた後遺症も残っていたからだったのかもしれません。

皆の対応から安心感を得られた後は気も楽になり舞いに集中できるようになっていました。

毎晩社務所で稽古を続けていくなかで困惑することがありました。

舞い方を教えてもらう際に宮司と師匠で言うことが違う時があるのです。
その際に二人で話し合って一本化されることもあったものの曖昧なままの場合もありました。

どうしてそうなるのか疑問に思った私は、練習の合い間の休憩時間にそれとなくこの神楽舞の歴史について色々と質問しました。

先だっての戦争に負けた後アメリカに占領されていた時期に、禁止されたためなのかどうか理由は定かではありませんが一度神楽舞は完全に途絶えたとのことでした。

予想外の展開に私の好奇心は益々ふくらんでいきました。


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