昨年10月から久方ぶりに社会復帰をし、少人数からなる仕事場にかよっています。 肉体労働の要素もある仕事柄から頭でっかちでは勤まりません。 それが関係しているのかどうかは分からないものの、あることに気がつきました。 私の苗字を間違えて覚えられることがまったくないのです。 上村はウエムラともカミムラとも読めます。 カミムラと読む苗字をもつ人の方が多いようで、しばしば私はカミムラさんと呼ばれます。 今まで会社から農村までいろいろな共同体内で必ずカミムラと呼ぶ人がいました。 ところが今回は誰一人としてカミムラとは呼ばず、ウエムラと覚えてくれています。 それに気がついたのは、私が職場の人の名前をたずねた時でした。 どんな字を書くのですか、と当然のように質問している自分がいたからです。 私は人の苗字を漢字で覚えようとしているわけです。 多くの人が同じことをしているのではないでしょうか。 私をカミムラと呼んだ人たちは皆漢字で覚えていたと思われます。 カミムラと間違えない人は音で覚えていたのではないかと推察しました。 覚える時に文字の助けをかりないのです。 音そのものをそのまま覚えて私の呼び名と結びつけているわけです。 漢字という文字を介在させない方が正確度が高くなるという面白い現象ですね。 名前にふりがなが必要になる理由もここにあり、でしょう。 しかし物事を記憶する際に文字を用いると効率が良くなることも事実です。 ここであるスターのことを思い出しました。 香港出身の映画俳優ジャッキーチェンです。 ある時彼はみずから文盲であることを告白しました。 当然彼は人の名前のみならずあらゆる物事を、文字化した視覚情報なしの音だけで覚えていることになります。 文字を当たり前のように使っている身では想像することも難しいです。 ここでもう一段回大きな事実に思い及んでしまいました。 日本には大陸から漢字が入ってくる前には文字がなかったとされていることです。 書きことばはもたず、話しことばしかなかったのです。 意思の疎通や情報伝達は直接話すという方法しかなかったわけです。 なにか大切なことを言い伝えるために語り部が必要とされたのではないかと思います。 文字を用いれば書き記された内容は時間と空間を飛び越えることが可能になります。 そう考えると書きことばに優位性があるようにも感じられます。 ただし会話と異なり一方通行であることに注意する必要があります。 頭の中でものを考える際に文字の果たす役割はどのようなものなのでしょうか。 ジャッキーチェンが文盲であることに気がついた人はいたのでしょうか。 現在の教育では当然のように文字を教えます。 成長の過程で文字を覚える適切な時期があるのかもしれません。 前述した文字の優位性と思われる特徴から、成長に伴う行動範囲の広がりと相関関係がありそうな感じがします。 教育課程を決める際に情緒も重視するのであれば、文字を覚えるのは早ければ早いほどいい、と短絡的に考えないのではないか。 子ども自身が文字を覚える時期を選ぶことはできないことから、大人がもっと真剣に考える必要があると思います。 苗字の呼び間違いから始まって、恒例の大風呂敷となってしまいました。 |
前に戻る | 目次へ戻る | 次を読む |