トップページへ

名簿焼失

No.72(2010.09.20)


今から15年前に、農村から脱出したいと考え始めていた頃、絶望させられる事実が発覚しました。

その出来事が農村を離れる決心がつかない私を後押しするかたちで、結果として山にこもる決断を促してくれたのでした。

現時点では具体的に書く心境に達していないものの、当時の私にとって過去の自分自身の人生全てを否定されたようにしか思えない状態に陥らされた事態でした。

両親とも健在だったので自暴自棄になるわけにもいかず、かといって、何らかのカタルシスがないと立ち行かなかったのでしょう、当時の私は。

目に見えない世界である心の問題を、目に見える世界の儀式的行為で解決しようとしていたのかどうだか、自分自身の過去の感情をはっきり思い出せないというのが正直なところです。

否定された過去なら消し去りたい、という気持ちもあったかもしれません。

行なった行為とは、手持ちの小学校から大学までの全ての名簿と、農村で生活していた際に記録していた日記全ての焼却でした。

社会との接点が復活するまで、その後7年を要したわけですから、衝動的に行なったその行為にどれほどの浄化作用があったのかは定かではありません。

ただし、名簿を失ってしまったという事実は確定したわけです。

先日、前々回のこのコーナーに登場した、中学3年の時のクラスメートであるIさんが同窓会の掲示板があることを教えてくれました。

何でも、昨年新宿で同窓会が開催されたことをきっかけに設置されたそうな。

最近ちょくちょくROMとしてお邪魔しています。

同窓会前後の書き込みから、同窓生みんなの興奮した心情が掲示板を通じて伝わってくるから不思議です。

が、名前は覚えているのに顔を思い出せない同窓生が多いことに、ちょっと落ち込みました。

書き込みを読んでいると、いつのまにか否定も肯定もない事実としての当時の出来事が心に浮かんでは消えました。

名簿はもうないけれど卒業アルバムは全部手元にあるので見てみるか、という気もなくはないが、、、

今でも中学のある地元に愛着をもっている人達には少しばかり違和感を感じてもしまいます。

私が転校生で、小学校1年の夏休みまでは富山県で育ったせいでしょうか。

また、田舎に住んでいると忘れがちな都会の孤独感、疎外感を思い出してもいる自分。

都会にいると、所詮「one of them」なんだよね。

高校生の時、中学3年時のクラスメートで同じ高校に進学したN君から、中3のクラスメートだったH君がN君に対して、「東京の人間は冷たい」と悩みを打ち明けていたことを聞かされました。

H君は私の前では明るく振舞っていたので、その言葉の意味が分からないことと、自分がH君から信頼されていなかったことの両方にショックを受けました。

ドップリと農村につかった田舎暮らしを経て、今ではH君の言葉の意味が心から分かるようになった自分がいる。


前に戻る 目次へ戻る 次を読む