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テレビっ子の末路

No.64(2007.02.08)


巷では、物が物だけに何者かが裏で糸を引いていたのでは、と勘ぐられてもいる納豆がらみの「やらせ」テレビ番組が話題になっているようですね。

この一件を契機として、次々と明らかになりつつあるテレビ局の不正な番組制作方法に私が命名させていただきます。

「あるある詐欺」

もっとも私なんぞは「あるある」と聞くと、「クイズ100人にききました」という大昔の番組におけるスタジオ内一般人の野次を思い出すんですがね。(苦笑)

もの心がついたらテレビが家にあったという私の世代は、最初のテレビっ子と言ってよいでしょう。

そんな私は、もう半世紀も生きたというのに、幼少時に聞かされたコマーシャル・ソングをしっかりと覚えています。

また、アニメーション漫画、怪獣もの、スポーツ根性もの等、子供向け番組のテーマ曲も記憶に残っているので、いまだに歌えてしまったりします。

同世代の人と話す際に共通の無難な話題として使える、という便利な面があることは事実なんですが、、、

さらに全国放送された番組の話題だと、お互いの出身地を意識せずに済む、という新種の「お近付き法」の出現であったりもするわけで。

その反面、全国放送の普及が日本各地の郷土色を喪失させていった一面は否定できないと考えています。

番組によって多様な価値観を国民に浸透させたことが、結果として地域共同体の解体を加速させたとも考えられますし。

ちょっと別の視点から見てみましょう。

以前に、日本人と国際結婚した外国人達が結成した、日本語を使った演劇集団のドキュメンタリーをテレビ番組で(苦笑)見ました。

劇中夫婦喧嘩をしている場面で、フランス人妻が日本人夫に対して苦言を呈していました。

我家で夫が友人達と懐かしアニメの話題で盛り上がっている時に、参加できない私は何ともいえない疎外感に耐え忍んでいるのだ、と。(汗)

ちょこざいなフランス人。(笑、失敬)

同一性を偏重する我ら日本人の島国根性をまんまと見破られましたね。

つまり、同世代テレビっ子つながり、ってぇ~のは、時間空間を共有するという地域性には欠けるものの、ある種のムラ(村)だったのだった。

地域に根ざしてない分、実益性は薄いですけどね。

そう言えばネット上で、ソーシャル・ネットワーク・サービスはムラへの回帰ではないか、という主張を目にしました。

コミューンなんてぇ~言葉もありましたっけね。(汗)

こっからオマケ。

シルベスタ・スタローン主演の「デモリッション・マン」というB級近未来SF映画があります。

近未来に歌い継がれているのがCMソングばっかしだったり、というシーンが笑わせてくれます。

また、室内照明を自動点灯させる言葉の合図が「ライト」から、悪者によって「イルミネイト」に代えられてしまうところも、、、

何だかおっかない秘密結社の名前を連想させてくれますね。

閑話休題。

しないで、これでオシマイ!


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